<大道すたれて仁義あり>は老子の道徳経 のはじめに出てくるわけではないが、意味は別としてさらには老子の言葉とは知らなくても多くの日本人は聞いたことがあるだろろう。まず<大道すたれて仁義あり>は日本語として語呂がいいのだ。
まず意味だが、原文は
大道廢,有仁義。智慧出,有大偽。六親不和,有孝慈。國家昏亂,有忠臣。(中國哲學書電子化計劃)で道徳経の第18章にある。
老子はレトリック好きだ。もっとも老子に限らず概して中国人は、特に学のある人でなくとも、中国語では日本語の助詞にあたる語が活躍しないため、効果的な言葉の並べ方やレトリックを自然的に発達させている。レトリックを使う基本的な目的は、意識的にも無意識的にも、内容そのものよりも、語り手が聞き手に、話の内容を納得させるのを目的として言葉の効果を最大限に生かそうということだ。したがって極端な例として、話の内容が<なにか悪いことをさせる>ものであっても、それを聞き手に納得させ、さらには実行させるのに成功すればレトリックを使う目的は達成されたことになる。
<大道すたれて仁義あり>も上手なレトリックで、<仁義は大道がすたれてから出てくるもの>、<仁義は大道がすたれてはじめて出てくるもの>。したがって<大道がすたれていなければ、そもそも仁義などいらない、仁義など出てこない>と言っているのだ。一種の逆説(paradox)だ。以下同じレトリックで
智慧出,有大偽。 知恵出(い)でて大ウソ(いつわり)あり。
六親不和,有孝慈。 家族、親族不和にして<子は孝行、親は慈(いつくしみ)あり。家族、親族が不和になると孝や慈が説かれるようになる。孝慈は<父慈子孝>という解説((中國哲學書電子化計劃)がある。<いつくしむ>はあまり聞かないが<かわいがる>の意。<いつくしむ>はいい大和言葉だ。一方<かわいがる>は文字通りでは<かわいい振りをする、かわいい振る舞いをしたがる、かわいく見える>(粋がる、えらがる、こわがる、からの類推)だが、いつごろからか意味が変化したようだ。
國家昏亂,有忠臣。 国が乱れて忠臣あり。国家が乱れ統制がなくなると忠臣が出てくる。国家が安定して問題がなければ忠臣など必要ないから、出る幕がない。
これで思い浮かべるのは、封神演義の隠れた主人公ともいえる<忠心耿耿>な太師聞仲だ。別のブログ<封神演義 忠誠(忠義)心につて>参照。
これに関連した内容だが別のレトリックが第38章にある。
上德不德,是以有德。下德不失德,是以無德。上德無為而無以為,下德為之而有以為。上仁為之而無以為,上義為之而有以為。上禮為之而莫之應,則攘臂而扔之。故失道而後德,失德而後仁,失仁而後義,失義而後禮。夫禮者,忠信之薄,而亂之首也。前識者,道之華而愚之始也。是以大丈夫處其厚不處其薄;居其實,不居其華。故去彼取此。(中國哲學書電子化計劃)
下線部だけを取り上げると
失道而後德,失德而後仁,失仁而後義,失義而後禮。
意味は文字通りで
道失われてのち徳あり。徳失われてのち仁あり。仁失われてのち義あり。義失われてのち礼あり。
A > B > C > D > E
といった数式のようだが、また別のレトリックだ。
<大道すたれて仁義あり>と比べると、
1)<(大)道>と<仁義>の間に<徳>がある。
2) <仁義>は<仁>と<義>に分かれている。
3)<義>のあとに<礼>がある。
この後に<夫禮者,忠信之薄,而亂之首也。<それ礼は忠信の薄きもの、乱れのもとなり>とあり、<礼>がこきおろされている。したがって、善悪(よしあし)の順位は高い方から
道 - 徳 - 仁 - 義 - 礼
の順。道徳経は上位の<道と徳>について書いたものなのだ。<大道すたれて仁義あり>からすると<徳>以下の<仁、義、礼>は老子にとっては好ましからざるもの、要(い)らざるものなのだ。
<仁義はいらざるものなり。いわんや礼>なのだ。一方儒教の代表孔子は<徳 - 仁 - 義 - 礼>を大体同じようにたいせつなものと扱っているようだ。
前後を解釈しておく。前半は
上德不德,是以有德。下德不失德,是以無德。上德無為而無以為,下德為之而有以為。上仁為之而無以為,上義為之而有以為。上禮為之而莫之應,則攘臂而扔之。
これまたレトリックだが、やや複雑。反語というレトリックか?逆接の一種ともいえる。別の解釈があろうが、一応
上德不德,是以有德。下德不失德,是以無德。
上等の徳というのは徳の観念がないこと。徳の観念はないが徳がそなわっているのだ。一方、下等の徳は徳の観念を維持しようと、徳を見せようするが、実際は徳がないのだ。
上德無為而無以為,下德為之而有以為。
上等の徳は無為で(何かをしようとしない)、すなわち徳をしようとするところがない。一方、下等の徳は有為で(何かしようとしする)、すなわち徳をしようとする。
上仁為之而無以為,上義為之而有以為。
上等の仁は無為で(何かをしようとしない)、すなわち仁をしようとするところがない。上等の義は無為で(何かをしようとしない)、すなわち義をしようとするところがない。
上禮為之而莫之應,則攘臂而扔之。
(一方) 上等の礼は、礼をしようとして反応しない者がいると、腕をまくり上げ、ひっとらえようとする。
としておく。ここでも<礼>がこき下ろされている。徳や仁や義に上等と下等があり、うな丼の<上>、<並み>のようだ。内容よりもレトリックが優先されている感じだ。ここで目的は<礼をこきおろす>ことのようだ。無為を説いているようでもあるが、ここでは深くほりさげていない。後半は
夫禮者,忠信之薄,而亂之首也。- これは上で解説した。
前識者,道之華而愚之始也。是以大丈夫處其厚不處其薄;居其實,不居其華。故去彼取此。
<前識者>は前もって知る者、前もって知ることができる者でいわば予言者。先を読む、先が読めるかしこい人だ。こういうかしこい人は<道の花>でうわべはいいが中身がなく、愚の始めだ。
<大丈夫>は中身がありしっかりした人。その前の<是以>は<これをもって>、<したがって>か。<處>は動詞で<xxに居る>。<居る>は後から出てくる。<是以大丈夫處其厚不處其薄;居其實,不居其華。>は<したがって、中身があり、しっかりした人はその厚きところに居(お)り、実なるところに居(い)て、中身がない花には居(い)ない。>。<その厚きところ>は上に<忠信之薄>とあるので<中身があり、しっかりした人は忠信の厚いところにいる>となる。一方<夫禮者,忠信之薄>なので礼を言う者、する者は中身がない、頼りない人となる。最後の<故去彼取此>は<したがって、忠信の薄い、中身がない方を捨て、忠信の厚い、中身がある方を取る。
<忠信>の解説がないが、<忠信>の<忠>は<國家昏亂,有忠臣>があり<忠臣>の<忠>でいいだろう。大和言葉では<裏切らない(こと)>、英語では loyalty。<信>は大和言葉ではこれまた<裏切らない(こと)>あるいは<頼(たよ)れる(こと)>、英語では credibility。
ブログのタイトルが<Lao Tsu (Lao Zi). Its rhetorics, paradoxes and riddles>と英語にしたので英語訳を最後に加えておく。
英語版((中國哲學書電子化計劃)
When the Great Dao (Way or Method) ceased to be observed, benevolence and righteousness came into vogue. (Then) appeared wisdom and shrewdness, and there ensued great hypocrisy. When harmony no longer prevailed throughout the six kinships, filial sons found their manifestation; when the states and clans fell into disorder, loyal ministers appeared.
こなれた英訳として手もとにある TAO TE CHING, The definitive edition; LAO TZU Translation and Commentary by Jonathan Star (Jeremy P. Tarcher / Penguin) からも引用しておく。
When the greatness of Tao is present
action arises from one's own heart
When the greatness of Tao is absent
action comes from the rules
of "kindness" and "justuce"
If you need the rules to be kind and just,
if you act virtuous,
this is sure sigh that virture is absent
Thus we see the great hypocrisy.
Only when the family loses its harmony
do we hear of "dutiful sons"
Only when the state is in chaos
do we hear of "loyal ministers"
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My translation
When simplicity is gone cleverness comes in.
When cleverness prevails big lies flourish.
素直なる心、賢(さか)しき頭に勝まさるとも劣らず。
すなおなる心、さかしき頭にまさるとも劣らず。
賢(さか)しきは素直(すなお)なるに如(し)かず。
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